カウンセラーやコーチ、コンサルタントが「怪しい」と言われるワケ。
カウンセリングを受けたって家族に話したら、「怪しい」って言われてしまいました…
カウンセリングあるあるですね。カウンセラーやコーチ、コンサルタントを「怪しい」と思っている人は、10年前に比べれば減ってきたと思いますが、それでもまだまだ多いと思います。
どうしてそう思われてしまうんでしょうか…
日本人は、「形のないモノ」にお金を払うことに抵抗を感じる人が多いとよく言われますが、もっと深いところで「カウンセラーやコーチ、コンサルタントは、「変なことを吹き込む人」でもあるから、というのが私の考えです
変なことを吹き込む人…?
社会的ルール=価値観に基づいて物事は評価される。
少し話が飛びますが、まず前提です。
人が物事(情報)を評価したり、取捨選択したりするとき、大抵は社会的なルール(≒価値観)に則って行います。
しかし、その弊害として「自分にとって大事なこと」が分からない、見えない状況に陥ってしまいがちでもあります。
そのため、ある部分では、この「社会的ルール」に縛られている自分自身に気づく。これが、キャリアコンサルタントやカウンセラー、コーチといった「怪しい」人たちの役割とも言えます。
社会的ルールに基づいた「アドバイス」が役に立たない理由
例えば、「世間的には高評価な企業に勤務しているが、実際は以前の失敗から閑職に左遷されており、昇進の見込みもなく、仕事は定型的業務で何も面白くないし、毎日ツラい」Aさんをイメージしてみてください。
このAさん、毎日がツラいとは言え、Aさん自身は「社会的ルール」から何も外れていません。
なので、Aさんの友人や同僚など、一般的な価値観(社会的ルールに則って生きることが大事)の人々に相談すると、下記のような「アドバイス」が返ってきます。
贅沢だよ
もっと現状に感謝することが大切だよ
家族が聴いたら泣くぞ。まだ住宅ローンもあるんだろ。
いかがでしょうか。
その他にも
・ラクな仕事で高給取りか。自分が変わってあげたいくらいだ。
・世の中にはあなたより報われない人がたくさんいる。
なんて反応が「よくあるアドバイス」として考えられますね。
これが「怪しくない人々」、つまり「社会的ルールに則っていることが大切であり、そこから外れてはいけない」。そんな価値観で生きている人々の「アドバイス」です。
しかし、彼らのアドバイスでは、Aさんは何も救われません。
Aさんにとっては、定年まで無駄に人生をすり減らしていくだけの日々であり、ツラいと感じている。
にもかかわらず、彼らはそれを、理解しようとしていないからです。
そんな人々のアドバイスでは、やる気なんて起きないし、楽しくもない、ときには現状に感謝できない自分はダメな人間だと感じるかもしれません。
また、自分自身が無為に日々を送っていることへの不安・焦燥に苦痛…これらによって鬱になったりする可能性もありますよね。
このAさんのように、一見社会的に評価の高い人生を送っていると思われている人でも、「自分の人生を生きていない」人はたくさんいます。
しかし彼らの悩みは、「普通」の人々には理解されないんですね。
カウンセラー、コーチ、コンサルタントの「アプローチ」とは?
(キャリア)コンサルタントやカウンセラー、コーチは、先ほどのような「世間的価値観に基づいたアドバイス」をしません。
そう、我々と世間一般の人々の違いとは、「世間的に評価されるけれど、自分がやりたくないことで頑張るのってそりゃツラいよね。それよりも自分が好きなことを頑張って、その結果として評価される方がやる気も出るし、楽しいし、happyな毎日を過ごせるんじゃない?」という「自己実現」的なかかわり方(アプローチ)をする点にあります。
カウンセラーやコーチ、コンサルタントを「怪しい」と評価する人々は「●●●●●●●●」である。
桜木さんがこのAさんの配偶者(例えば専業主婦)だったら、「Aさん、現状がツラいなら、自己実現について考えてみるのはどうでしょう。」なんて言っている私になんて言いたいですか?
うーん、住宅ローンもあるし、子どももいれば、やっぱり「余計なことを言わないで」ってなると思います…
そうなんです。
我々は、ある人々にとっては「変なこと・余計なことを吹き込む人」(≒怪しい人)になってしまうんですね。
この「ある人々」を「ステークホルダー(利害関係者)」と言います。
そのため、キャリアコンサルタントやカウンセラー、コーチは、クライエントが自らにとって「利害関係者」であるとき、その支援を行わないことが倫理的にも求められています。
日本的価値観の特徴は「忍耐は美徳」
コンサルタントやカウンセラー、コーチを、人の弱みに付け込む怪しい人だと思う人々は、我々の知見・スキルを活用して、自分を変えていこう、自己実現を目指そうとは考えません。
基本的には独力で何とかするか、現状維持つまり「我慢」することを選択します。
多くの人が選択する「我慢(忍耐)」。これを美徳とするのが日本的価値観の特徴ではないでしょうか。
よく言われるのが、「石の上にも三年」ですね。
この言葉が表すように、「嫌なことでも我慢して続けていれば、いつか報われる」と考える人が非常に多いんです。
しかし実際は、やりたくないことを嫌々やっていても大抵は身につかないし、ミスもしがちで、良い結果になる可能性は低いと思いませんか?
そして、「忍耐が美徳」が「普通(の価値観)」であるがゆえに、日本人の多くが「休日だけが楽しみ」「日曜の夜は超ブルー」になっています。
なので、例えば「仕事が楽しくてたまらない」「早く来い来い月曜日」なんて人を「例外」と捉えてしまうんですね。
日本的価値観では「自分の人生を楽しく生きよう」はNGワード。
例えば、オリンピックに出場するような選手、メダルを取るような選手で、「嫌々やっている」「休日を楽しみに我慢して取り組んでいる」人っているんでしょうか。
以前、何かのテレビで浅田真央さんが「フィギュア止めようと思ったこととかないの?」と聞かれて、こう答えていました。
「そんなの考えたことない。」
これが「世界で結果を出す人」なんだなと思います。
今、私は「世界で結果を出す人」と言いましたが、こう言うと多くの(普通の)人は「自分は世界で結果なんて出せない」「そんなものは求めていない」とまた「普通」であろうとします。
別に世界はどうでもいいんです。
「あなたが毎日楽しいと感じる。世間的な評価よりも『自分の人生』を生きていると感じる日々を過ごすことが大切なのでは?」
そして、「あなたが毎日楽しいと感じる。世間的な評価よりも『自分の人生』を生きていると感じる日々を過ごすことが大切なのでは?」…この言葉こそが、日本社会的価値観のNGワードです。
NGワードですから、この瞬間、私は多くの「普通の人」から見て、「怪しい人」になったはず笑
日本社会では、「我慢しない」はルール違反。だから「毎日楽しい」なんて「あり得ない」。
かの徳川家康だって、「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」「不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし」なんて言っていますよね。
「楽しく生きよう」と言った瞬間、「人生を自分の思うように生きるなんて我がままで自分勝手なことを言っている。こいつはアウトサイダー(自分たちとは価値観の違う人間)だ。怪しいぞ。」とレッテルを貼られてしまう。それが日本社会です。
カウンセラー、コーチ、コンサルタントは「怪しい」とレッテルを貼る日本的価値観こそが「病理」
いかがでしょうか。
キャリアコンサルタントやカウンセラー、コーチが「怪しい」人なのは、「自分の人生を生きること」を支援するという「我慢が美徳の日本社会の価値観に合わない人」であり、「ステークホルダーにとって邪魔な人」だから。
それは、「あなたがあなたの好きなことをやって、自己実現して、毎日happyに暮らせたら良いよね。それを一緒に考えよう」という人を、「怪しい」「アウトサイダー」とレッテルを貼る、この日本社会の病理なんです。