旭川市立北星中学校に在学されていた、廣瀬爽彩さん(14歳)の命が失われた事件について、あるニュースブログの方が独自取材を行われました。
当該中学校の教員の方から語られたリアルとは…

キレイごとだけでは済まない、教員の「リアル」が語られています。

北星中学教師の悲痛な思い

たった14歳だった廣瀬爽彩さんが、いじめ被害により自殺してしまった事件。週刊文春により暴かれた事件の内容は想像を絶するものでした。「トイレでお腹を殴られる」、「裸の写真を強要され、ばら撒かれる」等、とても14歳だった廣瀬爽彩さんが耐えられるものではなかった。

教員 「だってどうしようもないじゃないですか。止めろと言って止めてくれる生徒なら何回でも言いますよ。でもそうじゃない生徒だっているんです。手を上げて無理やり止めさせれば良かったんですか?」

教員 「手を上げたら体罰。懲戒。変にクビを突っ込めば職を失うんですよ?こんなご時世でどうしろって言うんですか?教員だって人間です。自分の生活を第一にして何が悪いんですか!」

教員 「下手に不良生徒から恨みを買って刺されでもしたらどうするんですか。彼らは悪魔みたいな笑い方をするんですよ。他人を殴っておいて。報復が怖くてもいいじゃないですか。なんでそこまで教員にあれこれ求めるんですか!」

最後は語気を荒げて電話を一方的に切られました。しかし、確かに教員の人間です。自分の生活が一番なんです。ましてや相手は悪魔のような不良生徒たち。下手に刺激すれば報復攻撃が待っています。

(引用:だいちゃん速報

カウンセリング・マインドと教育現場

金原俊輔先生による、「カウンセリング・マインドという概念および態度が日本の生徒指導や教育相談へ与えた影響」では、以下のような主張が紹介されています。

いじめ問題に対しては「生徒に、温かい指導(カウンセリング・マインド)をしたら、かなりいじめも防止できると思う(松原、1998、p.168)」という発想につながり、不登校問題に対しては「ロジャーズのカウンセリングの影響を強く受けていた。そのため『しばらく子どもが成長するのを待っている』『待っていればそのうちに時が来て自然に治る』『刺激しないほうがよい』という、受け身的要素が強い指導が大半を占めていた(國分・門田、1996、p.160)」との状況につながった。

高垣(1991)はこの傾向に疑問を抱き、学校に、カウンセリングや「カウンセリング・マインド」を導入したとしても、それが本来の意義をもって有効に機能するとは、とても考えられない。[中略]かりに無理にくっつけたとしても、片方のこわい目でにらみつけながら、もう片方の「感的な目」で子どもをとらえて、いったいどのような指導のみとおしがみえてくるというのであろう。選別と管理の怖い目に、「カウンセリング・マインド」をはりつけても、子どもが信用するはずもない。選別・管理の体制を維持する学校に、それでもカウンセリングを調和的に位置づけようとするならば、カウンセリングを管理体制の補完物として機能させる以外にない。それは、言ってみれば、「そうか、そうか」と、子どもをなだめすかし、うまくまるめこんで、管理体制に順応させる類の、まがいもののカウンセリングである(p.137)。と発言した。二律背反であるか偽物である、との指摘を含んだ発言である。

河上(1999)は、カウンセリング・マインドの普及が教育現場における学級崩壊や校内暴力悪化を招いたと見た。

(引用:「カウンセリング・マインドという概念および態度が日本の生徒指導や教育相談へ与えた影響」金原俊輔)

キャリアコンサルタントは教育現場に入れるだけの「知識」と「能力」を身に着けているのか。

「キャリア教育(小中高)の現場に、キャリアコンサルタントが入れるようにするべきだ。」

このような声を耳にすることは多く、実際に名古屋を中心として、先進的な取り組みが始まっていることも事実です。

そういった取り組みについて、一律に否定するものではありません。

危惧するのは、教育基本法や学校教育法、学習指導要領といった内容はもちろん、児童福祉法やいじめ防止対策推進法などもに一切触れない、現在のキャリアコンサルタント養成カリキュラムや試験内容であり、そして「職業能力開発促進法」を根拠法としていること。

これで本当に教員の方とラポールを築き、連携できるのか。そして、教員の方の悩みにも寄り添えるのか。

キャリアコンサルタントが、厚生労働省だけではなく、文部科学省にもきちんと「キャリアの専門家」と認知されるには、

①現場の教員に「理想の先生像」を押し付けない
②「傾聴」だけでは決して解決できない問題があることを理解する
③①②をひとりひとりのキャリアコンサルタントが実践する。
④その上で、キャリアコンサルタントが教育現場で「何ができるのか」「何をしなければならないのか」を自律して考えられるようになる。

こういった研鑽や活動が、何よりも大事なことではないでしょうか。