「いつコロナになるか分からないし、伝えたいこと伝えておいた方がいいね」と言った人がいました。
コロナウィルス感染症が拡大している今、志村けんさんのように、葬儀すら行われず、それどころか、最後に会話ができるかも分かりません。
そして、「死」をこれだけ身近に感じられるような日々が訪れるとは、まさか思わなかったはずです。
村上春樹は、「1973年のピンボール」で、死を身近に感じて生きる人々を描写しました。
金星は雲に被われた暑い星だ。
暑さと湿気のために住民の大半は若死にする。
三十年も生きれば伝説になるほどだ。
そしてその分だけ彼らの心は愛に富んでいる。
全ての金星人は全ての金星人を愛している。
彼らは他人を憎まないし、うらやまないし、軽蔑しない。悪口も言わない。
殺人も争いも無い。あるのは愛情と思いやりだけだ。「たとえ今日誰が死んだとしても僕たちは悲しまない。」
金星生まれの物静かな男はそう言った。
「僕たちはその分だけ生きているうちに愛しておくのさ。後で後悔しないようにね。」「先取りして愛しておくってわけだね?」
「君たちの使う言葉はよくわからないな。」と彼は首を振った。
「本当にそううまくいくのかい?」と僕は訊ねてみた。
「そうでもしなければ」と彼は言った。「金星は悲しみで埋まってしまう。」
(引用「1973年のピンボール」 村上春樹 講談社)
「死」が身近に感じられるからこそ、毎日朝早くからドラッグストアに並び、マスクを求め、他人の咳払いに不快感を覚え、家に帰れば着衣から何からアルコール消毒する。
そんな人々を責めることも笑うこともできません。
自分自身が、大切な家族をコロナウィルスに感染させてしまうかもしれない、そんな葛藤もあるでしょう。
キャリアコンサルタントに求められる役割も、この1か月で大きく変わりました。
人手不足を背景とした、これまでの「自分探し」的な支援は、激減しました。
多くの悩みは、現実的な支援が必要となっており、更には相談者自身が追い詰められており、内省で解決することは難しくなってきています。
「相談者に寄り添う」
このお題目すらも、今や疑問視されます。
相談者の自律・自立に任せることが、本当に今求められる「寄り添い」なのか。
「魚を与えるよりも、魚の釣り方を教えることが大事」とはよく言われます。
しかし、目の前の飢えている人には、釣り竿とともに「魚」を手渡すことも必要なのではないでしょうか。
そして「魚」を手渡すには、自分自身にも知識や経験が必要です。
求められる支援の在り方も、時代・社会と共に変わる。
強い者が生き残るのではなく、適応できる者が生き残る。
「死」そして「突然の別れ」、そして「将来不安」…
シビアなこの時代に、適応することができるか。
できなければ、「国家資格」があったところで、何の意味があるのでしょうか。
資格はツールにすぎません。
求められているのは、あなた自身の「支援力」です。