ミルトン・エリクソンは、個人のコミュニケーションは階層(レベル)的であり、表面的な意味と、その真意が異なることについて述べています。
それは、我々も無意識的に行っており、例えば「暑いね」という言葉には、「どこか涼しいお店に行こう」とか「エアコンを付けて」とか「窓を開けて」という意味が込められていたり、時には「お前らイチャイチャしてんじゃねーよ」だったりもします。
キャリアコンサルタントが、カウンセラーとしての役割を担う場合、この「マルチレベルコミュニケーション」を知っておくことは、非常に重要です。
人は、本当のことを「話せない」
昨日のブログで書きましたが、少年マンガを愛読して育った人(つまり私のような男性)は、こういったマルチレベルコミュニケーションが苦手なことが多々あります。
なぜそんな回りくどいことをするのか、理解できないんですね。
意識する・しないに関わらず、大抵は面倒なことをせず、ハッキリ言えばいいと思っていたりします。
しかし、クライエントに限らず、人は、悩みをそのまま言えないことがよくあります。
ぼやかしたり、隠したり、その他幼児返りなどの行動で表してみたりするんですよね。
なのに、それを慮ることが出来なかったり、理解できなかったり…
相手の「真意」を汲むことが、少年マンガばかりを読んで育つと、苦手になってしまう。
このあたりが影響しているのか、カウンセラーという職業は、比較的男性が少ない職業でもあります。
村上春樹「納屋を焼く」とメタファー
村上春樹の短編に「納屋を焼く」という作品があります。
「納屋」、言い換えると物置小屋ですね。
タイトルは、今お伝えしたように「納屋を焼く」です。
しかし、この作品を読めば分かりますが、作中では「納屋は焼かれない」のです。
もう少し補足すると「実際に納屋が焼かれることはない」んですね。
ただ、「納屋を焼く」話をするだけです。
オチも大してありません(というか分かりやすいオチがない)。
私自身、オチのない話が苦手な関西人ですが、京都市伏見区に生まれ、兵庫県西宮市で育った村上春樹氏が、こういった「分かりやすいオチ」のない作品を多々生み出せるのは、ある意味で本当にすごいなと思ったりします。
それにしても、不思議ですよね。
なぜ、タイトルは「納屋を焼く」なのに、実際には「納屋は焼かれない」のか。
つまり、これは「メタファー」(暗喩)です。
何かの「象徴」であり「暗に意味している」んですね。
そう、おそらくですが…
「人を殺した」とは言えないから、「納屋を焼いた」と言っているんです。
ミルトン・エリクソンのテスト
ミルトン・エリクソンが、ビル・オハンロンに出したテストがあります。
それは、
「あるクライエントがメモした言葉の意味を考えなさい」
というものでした。
「I am going to a place where there are no bad mad people.」
「私は、狂った人のいないところに行きます」
いかがでしょうか。
マルチレベルコミュニケーションとして、読むだけではなく、観察が必要です。
「観察」とは?
「観て察する(考える)」ことです。
何か「通常と異なる点」があったり、「特徴」があったり…
ありますよね。
自分で考えてみたい人は、この先をスクロールするのは、ゆっくりと考えてからにしてみて下さいね。
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そう、「太字」になっている部分があります。
ここだけを繋げると…
「I am going mad.」
(Weblio Email例文集)
エリクソンは、わずかに筆圧が異なる部分を読み取ることができているか、その筆圧の違いがクライエントのマルチレベルコミュニケーションであることに気づくかをテストしたんですね。