資格で理想のライフスタイルを実現する、キャリ魂塾のキャリ魂太郎です。


最近、フランクルの『夜と霧』が平積みされている書店をよく見かけます。

フランクルの『夜と霧』は、国家資格試験ではまだ出題回数は1回ですが、2級、1級キャリコン技能検定学科試験では複数回の出題実績があります。

今のところは、「フランクルは『夜と霧』でアウシュビッツ収容所体験から実存分析~』程度の出題しかありませんので、力業で丸暗記しておけば特に問題はありませんが、それだけではもったいないので、解説をすることにしました。

ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』

ヴィクトール・E・フランクル(Viktor Emil Frankl)は、1905年ヴィーンに生まれた精神科医であり、実存分析、ロゴテラピーの創始者でもあります。

この『夜と霧』は、フランクルがユダヤ人であるがゆえに、ナチスドイツのアウシュビッツに囚われ、奇蹟的に生還した「強制収容所における一心理学者の体験」(原題)を述べたものであり、出版直後からアメリカを中心に大きな話題となりました。

「この本は冷静な心理学者の眼でみられた、限界状況における人間の姿の記録である。そしてそこには、人間の精神の高さと人間の善意への限りない信仰があふれている。

だがまたそれは、まだ生々しい現代史の断面であり、政治や戦争の病誌である。そしてこの病誌はまた別な形で繰り返されないと誰がいえよう。」

(「訳者あとがき」より)

『夜と霧』のコペルニクス的転回とは

コペルニクス的転回(独: Kopernikanische Wende)とは、カントが提唱した価値観の主客転換を表す言葉です。

簡単に言えば、物事の見方が180度変わることですね。

『夜と霧』では、フランクルによる「コペルニクス的転回」が語られます。

それは

ここで必要なのは生命の意味についての問いの観点変更なのである。すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。

そのことをわれわれは学ばねばならず、また絶望している人間に教えなければならないのである。哲学的に誇張して言えば、ここではコペルニクス的転回が問題なのであると云えよう。すなわちわれわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として体験されるのである。

人生はわれわれに毎日毎時問いを提出し、われわれはその問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果たすこと、日々の務めを行うことに対する責任を担うことに他ならないのである。

(引用:『夜と霧』V.E.フランクル 訳:霜山徳爾)

通常、私たちはよく「人生がつまらない、面白くない、なぜだろう」という問いを自分に投げかけます。

それは換言すれば、「この先、自分の人生に期待できるのだろうか」という問いであるとも言えます。

しかし、フランクルはこの問い(観点)を、コペルニクス的転回で捉えました。

それが人生に期待するのではなく、人生があなたに何を期待しているのかが問題である」です。

人が絶望や諦観にあるとき、それは「人生への期待を失ったとき」であると考えられます。

しかし、フランクルは「人生が何を各人に課したかを考え、その使命・責任・日々の務めを果たせ」と訴えたわけですね。

これが「それでも人生にJa(Yes)と言う」に表される「ポジティブ」さであり、また「人生からの問いかけへの態度」です。

フランクルの問いとスティーブ・ジョブズの問いの共通点

この「人生からの問いかけ」を、毎朝鏡の前で考えていた男性がいます。

それが、スティーブ・ジョブズです。

彼は、

「もし今日が人生最後の日なら、自分は何をするだろうか?」を、毎朝、鏡に映る自分に問いかける

と述べていました。

これは、フランクルと同様の姿勢・在り方だと感じます。

今、自分が為すべきことは何か。それをしない(人生の問いに答えない)で、「人生が与えてくれる何かに期待するような生き方」をするな。

これがフランクルとジョブズに共通した眼差しであると感じます。

ジョブズは、クルンボルツやフランクルなど、キャリアコンサルタント試験に頻出の研究者と共通した考え方をしているところが興味深いですね。

直前期には語呂合わせも良いですが、余裕のある時期には、こんな風に学ぶ理解が深まるのではないでしょうか。

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