このエントリーは、キャリ魂塾メルマガとして配信したものをご紹介しています。

YouTubeで「何が言いたいか」を深掘り訓練する。

YouTubeのようなネットメディアがあるって凄いことだなと思います。

昭和、平成と、テレビがメディアの代名詞だった時代、芸能人を観るのは、まさにテレビだけでした。

しかし今、YouTubeがあるおかげで、本人が発信したいと思いさえすれば、リアルタイムの彼らを知ることができます。

宇多田ヒカルの One last kiss を観れば、デビューからの彼女の人生が感じられますし、

the first take では、Def Techの2人が不仲説があったとは思えないほど、ピッタリと息を合ったハーモニーを響かせ、

同じく郷ひろみが、エキゾチックジャパーンと熱唱。

みんな、年齢を重ねてそれぞれに素晴らしい。

芸能人だからチヤホヤされて幸せなんだろうな、いつまでも若くいられていいね。

なんて単純なものなら、竹内結子も三浦春馬も自ら命を絶つことはなかったはず。

何かを得ることは何かを失うこととイコールです。

だから、何かを失うことは何かを得ることに等しい。

宇多田ヒカルで言うと、Goodbye Happinessなんて、まさに彼女のそれまでの人生のようで本当に沁みますね。

love me を何回言うねんと…

「話を聴く」だけで「知ろう」としていないから「話してくれない」

話を聴くことは好きでも、「言いたいことを知ろう」としている人は意外と少ないものです。

大切な人をを失ったとき、「もっと話してほしかった」。

このように悔やむ人が、とても多いですよね。

だけど、それは間違いです。

話したって、「知ろうとしてくれない」と思われている。

だから、話さずに去る。

「聴くだけで、知ろうとしてくれない」から。

あなたは、クライエントの「話したいこと」を「知ろう」としていたでしょうか。

「聴くだけで(そして時には自分の価値観を押し付けるだけで)、知ろうとしてくれない」

だから、「話してもムダ」だと思われてしまったりする。

「話してもムダ」。これこそが「ラポールがない状態」です。

「言葉」は心の動きの表出したもの

例えば、

①「確かにそう思います」

②「確かにそうだとは思います」

①と②、違いがあるはずです。

それは、心の動きが「だとは」という言葉になって表れているからです。

だから言葉というやつは、心という海に浮かんだ氷山みたいなものじゃないかな。海面から出ている部分はわずかだけど、それによって海面下に存在する大きなものを知覚したり感じとったりすることができる。
-ヤン・ウェンリー

心は見えないし掴めませんが、言葉は捉えることができるはず。

その違和感をスルーしないで、知ろうとする。

「そう『だとは』思う?何か気になりますか?」

これが「深堀り」に必要な「態度(姿勢)」です。

本当は「怖い」「面倒くさい」という気持ちがありませんか?

「深堀りができない」と悩む人は多いです。

それは、「深堀りができない」のではありません。

「踏み込むのが怖い」「面倒くさい」のです。

怖いから、面倒くさいから、「無関心」になるんです。

「深堀りができない人」はいません。

「深堀りをしたくない人」がいるだけです。

そして、このエントリーは、あなたに伝えたくて書いたのではありません。

自分への戒めです。

先日ご紹介したロールプレイ動画。

この19:45~からです。

「有効な手段だとは思います」

この「だとは」をスルーしたのは、ロールプレイデモということで、20分でのまとめに意識が向いてしまったから。

そう、私こそが「映え」にとらわれ、「深堀りをしたくない人」になっていた。

「だがしかし未だこの心、大切な言葉をスルーしたこと、悔やんでおるのです」

(出典:シャーマンキング ©武井宏之 講談社)

本エントリーでご紹介したアーティスト、楽曲のYouTube動画はこちら。