このエントリーでは、歌手五木ひろしさんのデビューの経緯を振り返り、プレッシャーに打ち勝つことの大切さをお伝えしています。




五木ひろし、年収3,600万円を捨てて、オーディション番組に挑むか悩む

1970年、故郷福井の放送局福井放送のプロデューサーの勧めで、よみうりテレビ制作のオーディション番組『全日本歌謡選手権』に、歌手生命のすべてを賭けてミノルフォン専属のプロ歌手“三谷謙”として出場。当時銀座のクラブでの弾き語りが、サラリーマンの初任給3万円の時代に月収50万円もあり、もし落ちたらプロ歌手として失格の烙印を押され、弾き語りの仕事にも響く、この生活を捨ててまで危険な挑戦をすべきかで悩んだ。

(出典:Wikipedia 五木ひろし)

五木ひろしは、デビュー前から、当時の初任給が3万円の時代に、月収50万円を稼いでいたんですね。

少なめに計算しても、現在の初任給平均が20万円とすれば、月収300万円ということになります。

この月収300万円の自分が、「全日本歌謡選手権」に出場し、審査員から「(プロとしては)不合格」と評価されてしまえば、結局は「歌の上手いアマチュア」「セミプロ」との烙印を押されたことになってしまいます。

そうなれば、現在の月収300万円を失うことになりかねません。

しかし、プロとしてデビューできれば、今よりもさらに高みに駆けあがることができる…どうしたらよいのか、五木ひろしは悩んでいました。

五木ひろし、10週勝ち抜き、グランドチャンピオンに輝く

その悩みを、キャリアコンサルタントに相談したわけではありませんが、彼は結果を出しました。

第1週挑戦時には、「これで駄目なら、ふるさとの福井に帰って農業をやる」と覚悟のほどを語っているが、最終的には10週連続で勝ち残り、グランドチャンピオンに輝く。

(出典:Wikipedia 五木ひろし)

なんと10週連続で勝ち残り、グランドチャンピオンに輝いたのです。

まさに「彼こそ、『全日本歌謡選手権』からチャンスを掴み、スターの座を駆け上がっている、昭和の豊臣秀吉、五木ひろしです!」

その後の彼の活躍は、あなたもご存じのとおり。

そんなわけで、YouTubeで「五木ひろし」を検索したら、なんとその10週勝ち抜きの音声がアップされていたので、ご紹介しておきます。

この五木ひろしの歌声の裏には、背水の陣で挑んだ心意気があるのでした。

試験直前、何をすれば良いのか

試験直前期、あなたが五木ひろしになるために、何をすればプレッシャーを乗り越えられるか、何をすれば合格できるか。

五木ひろしも結果を出しました。

「でもやってみる価値はある。ボーイ・ジョージみたいな唄の下手な【中略】スターになれたんだ。努力がすべてだ」

(引用「ダンス・ダンス・ダンス」©村上春樹 講談社)

あなたの専門家は、あなたです。

そう、ありとあらゆる事象をキャリア形成支援に結び付ける。

エリクソニアンキャリ魂太郎でした。