資格で理想のライフスタイルを実現する、キャリ魂塾のキャリ魂太郎です。


このエントリーでは、「自分の気持ちが自分で分かっているとは限らないし、表現できるとは限らない」をテーマに、DREAMS COME TRUE(以下ドリカム)の「すき」を題材に検討しています。

DREAMS COME TRUE「すき」と「カタルシス」

先日、面接ロープレ対策講座で、「本当の自分の気持ち」と「支援者に見せる態度」の違いについて、ドリカムの「すき」で説明する機会があったので、こちらでもう少し補足しておきます。

やさしい人達の 然りげない誘いを
‘×’と大きく腕で書いた 少し笑った

‘心に穴が空く’ってこと
わかった気がした
妙にぴったりで また 少し笑った

すき… Uh Yeah

帰り道のことは 何も覚えてなかった
ドアを開けたままで
バスタブにうずくまった

甘い愛の歌ばかりが FM から聴こえる
‘ちょっと失敗’つぶやいて また 笑った

(引用: 「すき」DREAMS COME TRUE 作詞・作曲 吉田美和)

からの

当初から、「私」は「少し笑った」という表現が多用されています。

とは言え、やさしい人達の「然りげない誘い」を断っていることから、「ひとりになりたい」という気持ちが訴えられていますね。

表情は「少し笑った」。

だけど、

「心に穴が空いている」

そんな表現が妙にピッタリくる。

だからまた「少し笑った」

でも、「帰り道のことは何も覚えていない」。

それは「心」に穴が空いているつまり、「心がここにない」から。

だから、何をするでもなく、「バスタブにうずくまった」。

何をしているんだ?私は。

そのとき、「甘い愛の歌ばかり」がラジオから流れてくる。

失恋したばかりなのに、こりゃ失敗。

てへぺろ。

その「甘い愛の歌」のフレーズなのか、「すき」がココロの穴に染み込んでくる。

これが「心の機微に触れる」ということですよね。

だから「抱いた膝に次々に零れる」ほど「泣きたかった自分」に気づく。

「やさしい人達」ですら、そして「自分自身」ですら自分の気持ちが分からない。

「泣きたい」という「想い」。

また「やさしさ」は、ときには「内省に余計なもの」だったりします。

必要だったのは、むしろ感情を逆なでするような「甘い愛の歌(フレーズ)」だった。

一見、逆効果にも思えるようなその歌が、自分の泣きたい気持ちの表出=「カタルシス」にを生んだのです。

吉田美和の天賦の才を際立たせるかのように、バックはピアノだけ。

1990年代、あなたも聴いたであろうドリカムの「すき」でした。

この「すき」と対をなすのが「サンキュ.」であり、「何も言わずに付き合ってくれる」こと、つまり「寄り添い」に感謝しているわけですよね。

個人的には、ドリカムは「DELICIOUS」までしか知りませんが、吉田美和はちょいちょい「狂気」を孕んだフレーズを仕込んでくるところが、色々と考察すると楽しいかもしれないと思ったりします。