このエントリーでは、第11回国家資格キャリアコンサルタント論述試験の解答の考え方について解説しています。
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「自信がなくなった」では相談に来ない
のっけから「え?」と思われるかもしれません。
しかし、事実です。
人は「自信がなくなった」だけでは、相談には来ません。
正確に言うと、下記のようになります。
人は「自信がなくなったこと」によって、「この先どうして良いか分からない」から「相談に来る」のです。
別の例を挙げて、同じことを言いますね。
人は「会社を辞めようと思った」だけでは相談には来ません。
人は「会社を辞めようと思った」しかし、「その選択が果たして正しいのか分からない、また、この先どうして良いか分からない」から「相談に来る」のです。
いかがでしょうか。
ただ「自信がなくなった」なら、例えば引きこもるだけです。わざわざ相談には来ません。
ただ「会社を辞めようと思った」なら、普通、次のアクションは退職届を出すことです。わざわざ相談には来ません。
つまり、「次のアクションに移行する(という決断をする)」ために必要な「何か」が欠けているから、「相談に来る」のです。
そして、この「何か」を明らかにするのが「見立て」であったり、技法としての「明確化」であったりする、ということになります。
協議会はベタなオウム返しをしない。
少し話が逸れますが、今回の論述試験のCC3では、多くの受験生なら、こう返すでしょう。
「子育ても仕事も頑張りたいと思われている。だけど本当にできるのかなぁって思われているんですね」
しかし、本問のキャリアコンサルタントは「心配なのですね」と省略された感情を「明確化」したわけです。
これが、「養成講座での指導」と「試験」の違いです。
そして、大変申し訳ないのですが、上記のようなベタな「繰り返し」は、今や当たり前すぎて使えませんので、この「明確化」の方が実務的には使える技法です。
特にJCDA系の養成講座や「とにかく聴くだけに徹しろ」という指導で学ばれた方は、よくこの逐語を読んでください。
ほとんど繰り返しをしていないですよね。
だから、話がどんどん進むのです。
「何が欠けているのか」これが「見立て」であり設問2の解答になる。
話を戻しますね。
ただ「自信を失った」だけでは、人は相談に来ない。
今回のZさんで言えば、「自信を失ったのなら、自分で会社に断りを入れる」はずです。
しかし、そうはせずにキャリアコンサルタントのもとに相談に来た。
つまりこれは、「自信は失っているけれど、何とかしたい、ただその「何とか」が分からないから教えてほしい」ということです。
これで、あなたも解答が書けるはずです。
あなたがZさんに対して提案するのは、Zさんが受け入れてくれるこの「何か」です。
だから空欄Bに、「ご主人の理解が足りないため、ご主人に転職を促すこと」なんて書いてはいけないんですね。
だって、それでZさんが「確かにそうですね。」なんて言うと思いますか?
空欄Bは、なんでも入れられます。
入れるだけなら。
しかし、「入れられる」ということと「得点されると考えられる言葉を入れる」というのはまた別の話です。
ここでのポイントは、youtubeでも説明していますが、
1.Zさんが「確かにそうですね」と受け入れることができる提案である。
2.受け入れることはできるが、自分ではどうしたらいいのか分からない。
この2点を両立させるキーワードを書く、ということになります。
つまり、空欄Bは、↓の動画で説明したとおりですね。
地味に動画をアップし続けているので、もしよろしければチャンネル登録してくださいね笑
「見立て」には「根拠」が必要。
さて、あなたの見立て、Zさんには「何が」欠けているのでしょうか。
そして、そう見立てた「根拠」は何でしょうか。
この「根拠」を書くのが設問2です。
適当に、フィーリングで、感覚で見立ててはいけない。
何のために理論を学んだのか。
この設問2で使うためです。
(職業)発達論点を根拠にしますか?それとも「転機」を根拠にしますか?
どちらにしても、学科で学んだ知識を活用するのが、この設問2です。
だから、協議会で受験する場合は、学科で学んだことが報われるんですね。
そうそう、「Zさんの問題は、子どもの保育園が決まり、4月から復職する予定だが、最近になって仕事をしながら家事と育児が両立できるか自信がないこと」
なんて、書いてはいけないですよ。
それは「キャリアコンサルタントとしてあなたが考える相談者の問題」ではなく「相談者が考えている自分の問題」つまり「相談者が相談したいこと」ですからね。
設問3は見立てた「問題」をどう解決していくかを書く
そして最後です。
あなたの「見立て」た問題をどのようにすれば解決できるのか、そしてそのためにあなたは何ができるのか。
それを書くのが設問3(2)です。
これを書かずに、ただ「Zさんが元気で前向きになるように支援する」なんてことを書いても、意味がありません。
だって、問題が解決できる糸口も見えないで、抽象的なことを言われても、「元気で前向き」になんてなれないんだから。
Zさんが知りたい、聴きたいのは、今日、今、この瞬間に、Zさんの顔が明るくなったり、「先生、それやってみます!」と言ってくれたりするようなこと。
そういうことを「働きかける(提案する)」からこそ、「元気で前向き」になれるわけです。
「とにかく聴くだけ」、「提案なんてありえない」という指導を受けた方にとって、「何それ教えてもらってない」となるかもしれません。
しかし、それは、そもそも協議会(試験機関≒国)が、そういう在り方を求めていないことについて、その養成講座が理解していないんですね…残念なことなんですけど…