キャリ魂塾では、「読まない人は聴かない人だ」を掲げており、メールやチャットをはじめとする、「読む」力を、キャリアコンサルタントの重要なスキルと位置付けています。

このエントリーでは、「ノルウェイの森」(©村上春樹 講談社)を題材に、「読む」ことで何が得られるかを、お伝えしています。

「ノルウェイの森」のプロローグを「読む」

下記は、「ノルウェイの森」のプロローグです。

読んでみて下さい。

そして、読み終えたら、考えてみて下さい。

村上春樹は、このプロローグで、私たち読者に「何を伝えたいのか」を。

僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。その巨大な飛行機はぶ厚い雨雲をくぐり抜けて降下し、ハンブルク空港に着陸しようとしているところだった。十一月の冷ややかな雨が大地を暗く染め、雨合羽を着た整備工たちや、のっぺりとした空港ビルの上に立った旗や、BMWの広告板やそんな何もかもをフランドル派の陰うつな絵の背景のように見せていた。やれやれ、またドイツか、と僕は思った。

飛行機が着地を完了すると禁煙のサインが消え、天井のスピーカーから小さな音でBGMが流れはじめた。それはどこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズの 『ノルウェイの森』だった。そしてそのメロディーはいつものように僕を混乱させた。いや、いつもとは比べものにならないくらい激しく僕を混乱させ揺り動かした。

僕は頭がはりさけてしまわないように身をかがめて両手で顔を覆い、そのままじっとしていた。やがてドイツ人のスチュワーデスがやってきて、気分がわるいのかと英語で訊いた。大丈夫、少し目まいがしただけだと僕は答えた。
(中略)
飛行機が完全にストップして、人々がシートベルトを外し、物入れの中からバッグやら上着やらをとりだし始めるまで、僕はずっとあの草原の中にいた。僕は草の匂いをかぎ、肌に風を感じ、鳥の声を聴いた。
(中略)
十八年という歳月が過ぎ去ってしまった今でも、僕はあの草原の風景をはっきりと思いだすことができる。

(引用「ノルウェイの森」©村上春樹 講談社)

村上春樹は、なぜこの「プロローグ」を書いたのか

著者である村上春樹は、このプロローグで、何を読者に伝えたいのでしょうか。

このプロローグに、どんな意味があるのでしょうか。

1日1冊を読む「速読」では到底得られない、「意味」がこのプロローグには隠されているように思います。

文字をただ「目で追う」のではなく、「考える」

人間、生きていれば色々な過ちや不幸な出来事があります。

その出来事から、立ち直ったり、目を背けたり…

どちらにしろ、そんな風に「思い出」に変えながら、人生を歩いてきているのが、ヒトですよね。

しかし、「思い出」にならない出来事もある。

それを「トラウマ」「心的外傷」と呼びます。

「僕」にとっては、まだ「終わっていない」「トラウマ」がある

天井のスピーカーから小さな音でBGMが流れはじめた。それはどこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズの 『ノルウェイの森』だった。

小さな、そして甘い演奏。

にもかかわらず…

そしてそのメロディーはいつものように僕を混乱させた。いや、いつもとは比べものにならないくらい激しく僕を混乱させ揺り動かした。

そのメロディーは「いつも」僕を混乱させるものであり、このときは「いつもとは比べものにならないくらい激しく」僕を混乱させ揺り動かしています。

さらに

僕は頭がはりさけてしまわないように身をかがめて両手で顔を覆い

「頭がはりさける」ほどの苦痛であると語られます。

主人公である「僕」にとって、18年も前の出来事が、今なお続く「心的外傷」となって残っている。

「僕」にとって、「ノルウェイの森」とは、「いつも」その「トラウマを想起させる」旋律なんですね。

その証拠に、この後に続くのは

飛行機が完全にストップして、人々がシートベルトを外し、物入れの中からバッグやら上着やらをとりだし始めるまで、僕はずっとあの草原の中にいた。僕は草の匂いをかぎ、肌に風を感じ、鳥の声を聴いた。
(中略)
十八年という歳月が過ぎ去ってしまった今でも、僕はあの草原の風景をはっきりと思いだすことができる。

このように「ありありとまるでその場にいるかのように『僕はずっとあの草原の中にいた。』『はっきりと思い出す』」と述べています。

トラウマ記憶が蘇ることで、過去であるにもかかわらず、今まさにその体験をしている感覚に陥る症状…

メンタル不全、精神疾患を学んだあなたなら、ご存じでしょう。

そう、「ノルウェイの森」を聴いたことによって、記憶が「フラッシュバック」しているんですね。

フラッシュバック (flashback) とは、強いトラウマ体験(心的外傷)を受けた場合に、後になってその記憶が、突然かつ非常に鮮明に思い出されたり、同様に夢に見たりする現象。心的外傷後ストレス障害(PTSD)や急性ストレス障害の特徴的な症状のうちの1つである。

(引用:wikipedia)

このプロローグでの「僕」の「語り」によって、村上春樹は、この「ノルウェイの森」という曲が、主人公である「僕」の「心的外傷」を想起させる曲であり、そしてこの「ノルウェイの森」という物語が、「僕」の「心的外傷」の物語であることを読者に告げていると考えられます。

だから「ラスト」は…お分かりですよね。

「話を聴く」ことができるなら「文章を読む」こともできる

「話を聴く」とは、当然「音を耳に入れている」のではありませんよね。

同様に

「文章を読む」とは、当然「文字を漫然と目で追う」のではないはずです。

「傾聴」が「あたかも」その人の世界を体験しているかのように、我がことのように感じる聴き方であるのならば、「読む」ことでも、それができるはずです。

メール、チャット、SNS…

世の中には「誰か」が書いた「文章」があふれています。

本当に「読んで」いますか?

漫然と、ただ「目で追っているだけ」になっていませんか?

そして、「知識」があって、初めてその言葉の意味を「理解する」ことができる。

だから、毎日毎日勉強をする。

少しでも、「言葉の意味」が理解できるように。

僕は気が向くと書棚から「グレート・ギャツビー」を取り出し、出鱈目にページを開き、その部分をひとしきり読むことを習慣にしていたが、ただの一度も失望させられることはなかった。1ページとしてつまらないページはなかった。なんて素晴らしいんだろうと僕は思った。そして人々にその素晴らしさを伝えたいと思った。

(引用「ノルウェイの森」©村上春樹 講談社)

1つの作品を、20年以上かけて読む。

そんな「読み方」のお話でした。

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