このエントリーは、YOASOBIの「夜に駆ける」を題材に、精神疾患に対する「知識のない素人の安易な関わり方」を読み解いています。

※「夜に駆ける」は、「タナトスの誘惑」という小説が元ネタです。が、私は「タナトスの誘惑」は読んでいませんので、単純に歌詞のみの感想です。

YOASOBIの「夜に駆ける」は、なぜYouTube視聴制限対象になった?

紅白初出場が初めての公開ライブだったというYOASOBI。

その「夜を駆ける」が、YouTubeで視聴制限対象になりました。

なぜ、紅白という国民的番組でも歌われたこの「夜に駆ける」が、視聴制限対象になったのか。

何が不適切と考えられるのか、検討してみたいと思います。

「夜に駆ける」の歌詞を読み解くと、浮かんでくる可能性とは?


「夜に駆ける」の歌詞も、よく読むと色んな解釈が可能です。

例えば

君にしか見えない
何かを見つめる君が嫌いだ
見惚れているかのような
恋するような
そんな顔が嫌いだ

このフレーズは何を意味しているのでしょうか。

歌で聴くと「君にしか見えない」で一旦切って、「何かを見つめる君が嫌いだ」と流れます。

また、YouTubeで表示されている歌詞も、上記のとおりです。

「君にしか見えない/何かを見つめる君が嫌いだ」

このような区切り方をされると、何が言いたいのかを掴みにくくなってしまいます(おそらく意図的なものだと思いますが)。

文節や歌い方に惑わされずに読むと、ここは「君にしか見えない何かを見つめる君」を「僕は嫌いだ」ですよね。

文意が伝わりやすいように補足すると

「君にしか見えない/何かを/見つめる君が(僕は)嫌いだ」なんです。

これで文意が掴みやすくなりました。

「君にしか見えない『何か』」を見つめているんです。

そう、「君」は「幻覚」を見ている(幻視)んですね。

幻覚が生じる主な精神疾患は、

ナルコプレシー
認知症(とレビー小体型認知症)
アルコール依存症

そして

統合失調症です。

「何かに恋するような君を見るのが嫌」なのは、嫉妬とかではなく、「統合失調症で幻覚を見ている相手と向き合うのが嫌」という僕の身勝手さなんですね。

もう一つ、

いつだってチックタックと鳴る世界で
何度だってさ触れる
心無い言葉うるさい声に
涙が零れそう

「この世界(私たちのいる世界)」には、「何度だって触れる」上に「涙が零れそう」になるような、心無い言葉とうるさい声、そして「いつだって」チックタックと鳴る音なんてあります?

ありませんよね(時折、ならもちろんありますが)。

つまり「幻聴」です。

幻聴・幻視ともに、統合失調症の代表的な症状です。

ここから、「君」が統合失調症である可能性が高いと分かります(診断はもちろんできませんが)。

この理解をベースに、歌詞を読むと、君との生活に疲れ、自らも病んでいく「僕」が描かれていることが分かります。

「知識のない素人」の安易な関わりは、危険である

初めて会った日から
僕の心の全てを奪った

一目ぼれですよね。

精神疾患の知識もなく、一目ぼれした女性と付き合いたいがために、「ぬくもりで溶かす」「いつか日が昇る」と安易に希望を語ってからの、「もう嫌だって疲れたよなんて」「僕も言いたい」。

はい。受け止めきれなくなってイヤになって疲れてしまった。

これこそが、「知識のない素人」の関わり方です。

ちなみに、これは「ノルウェイの森」で直子が危惧している「素人の関わり方」そのものです。

精神疾患を、医療の知識もない素人が、自分が支えれば上手くいくと思い込んで、相手を期待させて、思い通りにならないと投げ出す。

まさに素人。当然、二人の関係は最悪の結末を迎えるんですね。

だからYouTubeは「一部の視聴者にとって攻撃的または不適切である」と述べているんだと思います。

こういった「素人」に傷つけられた方も多いはずですから。

もちろん、あくまで私の考察なので、解答というわけではありません。

クリエイターは何を訴えているかを考える

キャリ魂塾では「読むことは聴くことと同じ」「読まない人は聴かない人である」とお伝えしています。

以前、解決志向勉強会では、ヨルシカの「思想犯」を使って解説をしましたが、クリエイターは無意味なことは多分しないと思うんですね。

言葉にしろ、表現にしろ、ただ聴いているだけだと、100%スルーしてしまう。

敏感に反応するように、常にアンテナを立てておきたいですね。