このエントリーでは、ワッツ等の「社会正義のキャリアガイダンス理論」に基づき、キャリアコンサルタントの「厳しい在り方」が無意識的に生じている点について解説しています。

相談者に厳しいキャリアコンサルタントが多い理由

キャリアコンサルタントは、「寄り添い」を謳い、掲げますが、その実「相談者に厳しい」ことが非常に多いように思います。

その理由として、考えられるのは

・キャリアコンサルタントになろうと思う
・キャリアコンサルタントを勧められる(職場等)

このように、「キャリアコンサルタント」を知ることができ、さらに資格取得を目指す時点で、その人には「比較的高い」キャリア意識が備わっているからではないでしょうか。

個人的な感覚で言えば、このキャリア意識の高さを備えている人は、概ね全体の10%以下です。

逆に言えば多くの人は、「キャリアに興味・関心はない」状態であると表現できます。

多くの人が興味があるのは「お金」である。

多くの人が「キャリア」に興味・関心はない。

では、多くの人は何に興味があるのか。

簡単です。

「お金」です。

この現実が見えていないのが、協議会やJCDAといった両試験機関であり、キャリアコンサルタント養成機関です。

それは、これらのキャリアコンサルタント関係機関の方々が、いわゆる「ハイキャリア」で構成されているからです。

キャリコン養成課程での学びが、実務の多くの場面で使えない理由

キャリアコンサルタント実技試験に出題される事例を振り返ると

「妊娠で高校中退、彼氏と同棲して出産したが、うまく行かず実家に戻る。両親から子どもも小学生になったし自立しろと言われ、嫌々相談に来た」

こんな出題は、考慮する必要も対策する必要も一切ありません(キャリ魂塾ではJCDAを一切考慮していませんが、JCDAでも出題されないでしょう)。

が、私が見てきた相談者には、こういう「キャリア発達的には中学生水準」の方も多数います。

にもかかわらず、今のキャリアコンサルタント制度は、こういった方へのサポートは一切考慮されていません。

また、私は、大阪の南海沿線という環境で育ったので、一時は毎日「あいりん地区」を通過し、その日その日で生計を立てる人達を間近に見ていました。

雇用の調整弁と言われる、日雇い労働に従事される方が多い地域です。

そういった人達をどうサポートするか。

一部でキャリアコンサルタントが実務的には役に立たないと評価されているのは、「自分たちが与し易い相談者だけを対象としている」制度であり、養成課程になっている面も大きいのではないでしょうか。

厳しい言い方と思われるかもしれませんが、「上澄みだけ」で知った気になっているとの評価も、的外れではないように思います。

学ぶ内容も、例えば「シャインのキャリア・アンカー」等が人気ですが、これは「MIT」の僅か44人という極めて特殊(ハイキャリア)な数十人を対象としており、そもそも「理論」としては不十分ですし、言葉の定義も時代とともに変わります。

そのあたりは↓でどうぞ。

キャリアコンサルタント養成課程で学ぶ多くの理論は、まだまだ発展途上なんですね。

職業能力開発促進法にこだわらない、「本当のキャリア」を実現する寄り添いができるか。

国家資格者として、現在のキャリアコンサルタント養成機関で提供されている、キャリアコンサルタントの学びは

誰もが「仕事にやりがいを感じており」
誰もが「自分の将来に不安を持っており」
誰もが「学ぶこと(能力開発)でキャリアの問題を解決できる」

という「人間性」に根差したものです。

なので

「キャリア?どうでもいいよ。
死ぬまで200万円でも良いよ。
うまい酒が飲めて、週末にギャンブルができればね」

という方への支援は、恐らく一切考慮されていません。

職業能力開発基本計画などを読むと、国としては、本当は、こういう方の「能力開発」を支援しないと不況の時に労働移動できないので困ると考えている訳ですが、そのあたりは噛み合っていないように思います。

キャリアコンサルタントは相談者に厳しい。

そして、キャリコン自身はキャリア意識が高いので、実は「寄り添い」どころか、相談者に厳しい人が多かったりします。

なので、「キャリア意識」が低い方がリアルに目の前に現れると、イライラしてしまう。

合格者の方でも、私が少し「でもでもだってやる気ない」の相談者役を演じるとイラっとした対応になることが少なくありません。

「そんなこと言ってたら仕事ないよ」って口にしてしまう。

そう、僅か数か月、150時間程度で塗ったメッキなど簡単にはがれ、「他人に厳しい」地が出てしまうのです。

「お金が欲しいだけ」が満たされて初めて「生き方」を考える。

あなたは、

「お金が欲しいだけ」

この気持ちに寄り添えますか?

「生活保護でいいです。働きたくないので」

この相談に

「イラっと」

しませんか?

でも、マズローの欲求段階説で考えても、キャリアは「お金」の後です。

「お金」って、生理的欲求・安全欲求・承認欲求を同時に満たし、更には社会的欲求の充足を比較的容易にしますからね。

本当はものすごく重要なんですよ。

お金の不安・問題が解決して初めてキャリアを考えられるのに、それを逆にしてキャリアから考え始める。

これは、現実的にはちょっと難しいことが多いんじゃないかなと思います。

生活保護も「キャリア」のサポートになる

例えば相談者がこう言ったとしましょう。

「仕事が無くなったら?生活保護でいいかな。」

これが「お金の問題が解決された」状態です。

キャリアが「働き方」ではなく「生き方」ならば「生活保護」という「生き方」をあなたはどう受容しますか?

キャリアが「働き方」ではなく「生き方」ならば「生活保護」という「生き方」も当然アリのはずです。

「生活保護」への否定的な感情があるとすれば、それが準拠枠(≒資本主義的価値観)であり、その準拠枠に沿った否定な感情が生まれているだけ。

仮に、「生活保護」制度が廃止され、これが「ベーシックインカム」(最低限所得保障)に変更されたとすれば

「お金のための労働から自由になり、好きなことをして生きる」

これが当たり前になるはずです。

生活保護まで織り込んでキャリアを考える。

これはある意味では「法律(職能法)に囚われない」、「寄り添った」キャリアコンサルティングであり、「国家資格者」として行うキャリアコンサルティングではないかもしれません。

「他人に厳しい」キャリアコンサルタントの問題点は、既に1996年にワッツという研究者が指摘しています。

それは、今の「キャリア」が「資本主義的(自由主義的)」価値観によって「自分の市場価値を高めるための競走」を前提としたものになっているから。

この「価値観」≒準拠枠は、職能法の前提でもあります。

そう考えると、ワッツの理論は、なかなか国家試験としては出題されないのかもしれませんね。

実務的には非常に重要な論点なのですが。