このエントリーでは、YouTubeで公開されている、イチロー選手と落合博満氏の対談から、支援者の関わり方を考察しています。

イチロー×落合対談を観る

いかがだったでしょうか。

助言は、相談者の世界を共有できる人だけがなし得る

落合氏は、イチローの仕上がり具合を見抜いており、またその原因も把握しています。

そしてそれは、天才イチローですら、まだ自覚・把握していない。

天才イチローですら、まだ自覚・把握していない問題を見抜ぬけたのは、落合氏も同じく天才だから。

彼が行った「助言」を、イチローは瞬時に理解し、それが正しい助言であると判断します。

だからこそ、イチローの顔に笑顔が溢れているんですね。

この笑顔は「自分の世界を自分と同レベルで理解してくれる人がいる」という喜びです。

逆に言えば、キャリアコンサルタントが助言をする場合、このレベルの笑顔や喜びが、クライエントに生じているかを考える必要があります。

「自分の世界を自分と同レベルで知ってくれている人がいる」とクライエントが感じることこそが、「共感」「受容」が「できている」状態です。

仮に、カウンセラーやコーチが落合氏の代わりにいたとして、

「うんうん、5割くらいなんですね」

こんな応答をしたところで、共感でも受容でもありませんし、イチローからすれば「テキトーやなぁ」と思うでしょう。

真のラポールは、「相談者の持つ内的世界を共有できた人」にしか生まれないし、助言とは、「真のラポールが生まれた相手から行われて初めて、意味がある(実行される)」ものです。

観察力とそのベース

そして、驚嘆すべきは落合氏の「観察」力です。

ミルトン・エリクソンは、「観察だ、観察によって患者の治療に必要な情報は全て自分のものになる」と言いました。

その言葉を体現しているのが、落合氏の観察眼です。

記憶力なのか、ビデオを何度も見ているのか分かりません。

しかし、一つだけ言えることがあります。

落合氏は、誰よりも「イチローに興味関心を持っている」ということです。

これが観察のベースである、「クライエントに関心を寄せる」なんですね。

態度

このイチローの態度を見て下さい。

イチローはこのとき、弱冠25歳です。

大大大先輩である落合氏に対して、大股開きで委縮した様子は微塵も感じません。

それはそれで凄いのですが、更に凄いのが落合氏です。

若輩者であるイチローの、ある意味傲岸不遜ともいえるこの態度を完全に受容し、自然とありのままに受け止めているのが、落合氏の懐の深さであり、受容力です。

そしてそのベースにあるのは、イチローへの愛だと思うんですよね。

愛つまり「受容」です。

また、イチローも、落合氏が背中を逸らして(前傾姿勢どころではない)、自らの話を聴いていることに対して、全くなにも感じていないと思いませんか?

前傾姿勢など、意識してしたところで「面談の内容」に意味が無ければ、そこにラポールなど生まれません。

そして、この態度こそが「落合氏が自然に接する態度」であり、そこにイチローの反発やラポールの低下は生まれないんですね。

ペーシング

落合氏が軽く肘を触れたり両手を組んだりしていますが、イチローも、軽く両手を組んだり、肘を触るようなしぐさを行っています。

これが「息が合ってきている状態」=ペースが合っている状態(ペーシング)ですね。

息が合ってきているので、クライエントの行動と支援者の行動が合ってきているように感じます。

指示的カウンセリングと非指示的カウンセリング

「シーズン入り」という期限がある中で、その原因を自覚・把握し、アジャストすることは「早ければ早いほど良い」はずです。

ここで落合氏が「まだ5割ってところですね。自分で考えなさい」と言っていれば、それは凡百のコーチ以下であり、イチローにとって「わざわざ時間を取って対談するような相手」ではないはずです。

繰り返しになりますが、指示的カウンセリングが必要なのは、「期限」があるからです。

パーソンズやウィリアムソンが「指示的カウンセリング」だったのも、「学生相手」だったからです。

ロジャーズが「非指示的カウンセリング」に取り組んだきっかけは、相談者が「自分自身の結婚の失敗」について語ったことです。

自分自身の結婚の失敗を考えるのに「期限」は基本的にはありません。

ゆっくりと内省をすればよい。

だからロジャーズは「非指示的」で良かったんですね。

これが分からなかった(諸富先生によれば、ロジャーズは大学でキャリアカウンセリングを行ったことはない)ので、ロジャーズはウィリアムソンにケチを付けに行ったりしたわけです。

落合氏の指示的カウンセリング

いかがだったでしょうか。

カウンセラーは大学院を出なければならないと言ったような意見を見ることもありますが、大学院を出たところで「クライエントの世界」を共有できるとは限りません。

ナレーターが「2人の会話は別の次元へと進んでいった」と言っていますが、この「次元を共有」できることの方がよっぽど大切です。

何より、落合氏は「自らの打撃論」をイチローにアドバイスするようなことは一切していないし、自分の実績や「経験」から、「オレ流」を押し付けるようなこともしていません。

イチローのバッティングが「一番良い時と比べてここが違う」と言っているだけです。

イチローを尊重(愛)し、イチローのバッティングが素晴らしいことを認め(受容)し、イチローに共感(誰も言ってくれる人がいない)しているからこそ、助言できる。

それが落合氏の「指示的カウンセリング」だと感じるんですね。