キャリ魂太郎です。

このエントリーでは、「実存主義」とそのアプローチについて解説しています。

人生は繰り返すという考え方

さてみなさん(関西人はこのフレーズで浜村淳の声が流れるという自動思考(ではないけど)を持つ)、人生は楽しいですか?

楽しい、楽しくない、人それぞれあるでしょう。

そんな人生ですが、今のこの人生、これを全く同じように、何度も繰り返すという理論があります。

その理由として、確率と時間が根拠になっているんですね。

例えば、この地球が生まれる確率は、「時計を分解して箱に入れ、その箱を適当に揺さぶって、また箱を開けたら、時計が組み立てられている」くらいの確率という説もあれば、「チンパンジーが適当に選んだ文字が、小説になる」確率であるという方もいます。

どちらにしても、恐ろしく低い確率であることは間違いありません。

しかし、寝ている間のことを考えてください。

寝ている間はほぼ無意識ですよね。

私も、昨日横になって目を閉じたと思ったら、次に目を開けたら4時間近く経過していました。

このように、無意識状態では時間の概念が変容しますので、時間を一瞬に縮めることができます。

あなたに前世があるとして、前世で100年生きていても、今のあなたが認識していないのと同じことです。

つまり、先ほどの箱やチンパンジーの選ぶ文字も、時間が無限にあれば、試行回数も当然無限になりますので、いつかは箱の中で時計が組み上がり、チンパンジーは小説を書き上げる(まあ書いてはいませんが)ということになります。

この考え方でいけば、あなたが今この時代にいて、このブログを読んでいるというのも、確率(選択)によるものですし、キャリコン試験を受験しようと考えたのも同様に確率(選択)の問題となります。

何が言いたいかというと、時間が無限に流れるのであれば、寸分たがわない、全く同じ人生が何度も繰り返されるということなんですね。

ニーチェは、このような考え方を「永劫回帰」と言いました。

「時間は無限であり、物質は有限である」という前提に立ち、無限の時間の中で有限の物質を組み合わせたものが世界であるならば、現在の世界が過去に存在し、あるいは将来も再度全く同じ組み合わせから構成される可能性について示唆している。

出典:wikipedia:永劫回帰

ニーチェからフランクルへ

生まれ変わったら、アラブの王族になりたいな、とかそんな風に生まれ変わりに思いを馳せたことがあるかもしれませんが、私たちは死後の世界を基本的には認識することができません。

(基本的には、と断るのは、私は個人的に前世療法などを否定していないからです。)

生まれ変わってアラブの王族になっても、その次に生まれ変わって、ハリウッドスターになっても、いずれ今のあなたが再度出現します。

時間は無限にあると考えるとそうなるんです。

なので、今の人生が何度でも繰り返されるのであれば、今この人生を悔いのないように、楽しく生きた方が、次にまたこの自分自身に生まれ変わったときに有益だよね、と考えることもできます。(ニーチェは幸福追求を批判したりもしましたが)

当然、ニーチェの考え方も批判・否定される部分もあるんですけども、また自分自身に生まれてくるのならば、次に生まれ変わってくるときのために少しでも良い状況にしておこう(現実に存在している私を大切にする)という考え方もあるわけですね。

なんやようわからん?

まあ、もうちょっと読んでくださいよ。

なんでこんなことを書いているかと言いますと、キャリコン1.2級試験には、ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」がちょこちょこと出題され、第10回の国家資格キャリコン試験でも出題されています。

例えば、「フランクルの『夜と霧』を著し、実存主義云々」といった感じの問題文ですね。

しかしフランクルはもちろん、「実存主義」って急に言われても、いうてキャリコン受験生の95%は知らないと思うんですよ。

この実存主義の先駆者が、ニーチェなんです。

そして実存主義とは?

「現実に存在する」事象を重視するから、実存主義なわけです。

だからその逆となる事象の究極が「神様」ですよね。

結果、ニーチェは「神は死んだ」という言葉を生みました。

そして、「現実に存在している」のは・・・?











そう、「今、ここ」にいる私ですよね。

「我思う。故に我在り。」コギト・エルゴ・スム(cogito, ergo sum)です。

あのデカルトです。

ホランド理論によれば、あなたは私と同じく、高校時代に「政経・倫理」を学んでいるはずなので、ここまではOKのはず。

あなたは、カール・ロジャーズの来談者中心療法を学び、「今、ここ」にフォーカスするアプローチをとっていると思いますが、それこそが「実存(主義)的アプローチ」だったわけです。

来談者中心療法は、「現実に存在している私にフォーカスするという、実存主義的な療法である」とは、こういうことなんですね。

心理学は宗教学や哲学、倫理学と密接に関連する分野なので、こういった横断的な知識があると、捗ります。

(特に、宗教的な知識は海外の理論を理解するバックボーンとして必要だと思います)

文学部は要らない子?

私は大学時代は文学部だったこともあり、仏教やキリスト教といった宗教学や哲学・倫理学をある程度体系的に学んだわけですが、いまや経済界からは穀潰しのように言われることもある文学部、こんな風に意外と役に立つこともあります。

スティーブ・ジョブズなんて、(当時何の役にも立たないと考えていた)カリグラフィーの知識が役に立ったわけですからね。

大学時代、文学部でやっていることが実生活に全く役に立たない反動で法学の道に入ったはずなのに、また戻ってきているという…

私がどっちかというと、プランドハプンスタンス志向なのはそのためでしょうか笑

そんなわけで、キャリコン関係講座では聴けない、たぶん一番分かりやすい実存主義の解説でした。