このエントリーでは、週刊少年ジャンプに連載されていた「チェンソーマン」を題材に、「言葉」を観察し、考察するトレーニングをご紹介しています。

チェンソーマンの「新幹線内」での会話を考える

下記は、チェンソーマンでの一ページです。

(引用:「チェンソーマン」©藤本タツキ 集英社

会話は、内容がおかしくても成立する。

このページでの会話は、一見成立していますが、よく読むと非常におかしな会話です。

まず、「人は、『任意の時間で空腹になる』能力など持っていない」はずです。

にもかかわらず、女性は「駅弁を食べてもお腹を空かせることができる」ようなことを示唆しています。

つまり、この会話は「女性が一般的な「ヒト」であればあり得ない」と考えることができます。

そういった能力を持っているのか、はたまたヒトのフリをした何か別の生物、存在なのか…

もうひとつ、考えられる可能性があります。

それは女性が「1時の会食は開催されない」と考えているケース。

女性が何らかの根拠から、「1時の会食は開催されない」と推測しているのであれば、「今から」「駅弁を食べる」ことには合理性があります。

「言葉」は心という海に浮かんだ氷山の一角

だから言葉というやつは、心という海に浮かんだ氷山みたいなものじゃないかな。海面から出ている部分はわずかだけど、それによって海面下に存在する大きなものを知覚したり感じとったりすることができる。

-ヤン・ウェンリー

この先も、私が何度でも引用し続けるであろう言葉であり、座右の銘でもある言葉です。

言葉は、その人の膨大な思考、感情、そして人生という海に露出した、氷山の一角であり、その言葉の表出によって、その人のひととなりを知覚したり、感じ取ったりすることができるものです。

話を聴くことは、言葉を聴くこと。

読むことは、言葉を吟味すること。

しっかりと、「何を話したいのか」を感じ取りたいなと思います。